- 2025.9.17
プロボウラー小林よしみ ― 偶然の出会いからプロの道へ
ボウリング一筋、挑戦を続けるトッププレイヤー
ボウリングとの出会いは、家族で出かけた休日のひとコマだった。
小学校高学年の頃、遊びで訪れたボウリング場で支配人に「上手いね」と声をかけられたことが、すべての始まりだ。
当時、マイボールがもらえるキャンペーンが行われており、支配人がおまけでスタンプを押してくれたおかげで、
初めて自分専用のボールを手に入れた。そこから、ボウリング場のプロによる教室に通い、
小学6年生で公益財団法人JAPAN BOWLING(JB)に入会。競技としてのボウリングにのめり込んでいった。
部活を選ばず、ボウリング一筋
中学では一度、陸上部に入ったものの、土日にボウリングができなくなってしまい、わずか2〜3カ月で退部。
その後は中高6年間、部活動には所属せず、ボウリング漬けの日々を送った。
高校卒業後にはボウリング場に就職し、生活の中心は常にボウリングだった。
成績と栄光
高校時代から4年連続で国体に出場。
3年間は準優勝が続いたが、16歳の時には栃木県の大会で大人も含めた選手たちを抑え、最年少優勝を果たす。
プロ入り3年目にはPリーグ初出場。その後も10年以上出場を続け、2年前にはシリーズチャンピオンに輝いた。
プロ入りの裏話
「実は、プロになる気は全くなかったんです」と小林は笑う。きっかけは姉の存在だった。
1歳上の姉がプロを目指していたことから、
「姉妹で受験すれば話題になる」と思い、軽い気持ちでプロテストを受験。結果は妹の合格、姉の不合格。
しかし翌年、姉も無事にプロ入りを果たした。
ボウリング人生を変えたアメリカ
転機は9年前。初めて訪れたアメリカのトレーニングセンターでレッスンを受けたときだった。
2度目の訪問では、歩き方からフォームまで徹底的に直され、自分の投球に新しい発見が生まれた。
「歩き方ひとつでこんなに変わるのか」と驚いたという。
ボールは相棒
試合で重要なのがボール選びだ。
会場やレーンによってボールを変えるため、大会には常に12個ほどを持参。
自宅には30個ほどストックがあるが、それでも「少ない方」だと本人は語る。ボールはまさに勝敗を分ける相棒なのだ。
ボウリングの未来に願うこと
全国的にボウリング場が減少している今、小林には強い思いがある。
「遊びでもいいから、もっと多くの人にボウリングを続けてほしい。競技としての魅力を知ってもらえたら嬉しいですね。」
目標は再び、あの舞台へ
5年前、全日本選手権で優勝した。
そのとき、観客に囲まれ、インタビューを受けながらトロフィーを掲げた瞬間が忘れられない。
「もう一度、あの景色を見たい。そのために挑戦を続けます。」
プロボウラー・小林よしみの挑戦は、まだまだ続いていく。
YouTube番組「アスリートキャリア」出演中
▶【女性アスリート応援】プロボウラー小林よしみが語る!ボウリングの魅力と知られざる魅力
小林よしみさんを応援したい方、お申込みお待ちしてます
小林プロフィール
小林よしみさんInstagram